【中小も義務】パワハラで会社が負けた瞬間|賠償1,300万〜5,500万の裁判例で学ぶ3要素・6類型と防止措置
「ただ厳しく叱っただけ」。そう思っていた会社が、5,500万円の支払いを命じられました。一方で、心得の書き写しを命じても違法にはならなかったケースもあります。この2つを分けたものは何か。
2022年4月から中小企業にも義務化されたパワハラ防止措置は、突き詰めると「この線引きを社内で運用できるか」に尽きます。この記事では、実在する裁判例で境界を見えるようにしたうえで、数名〜数十名の会社が明日から回せる最小限の防止措置まで落とし込みます。
【重要】 本記事は2026年7月時点の公開情報・裁判例解説に基づき、一般的な考え方を整理したものです。裁判例の賠償額は報道・判例解説に基づく概数で、事案の詳細や法令の解釈は変わることがあります。自社の個別のケースは、弁護士・社会保険労務士にご相談ください。
まず、金額の話をします
制度の説明より先に、「放置するとどうなるか」を裁判例の金額で見てください。パワハラは、起きたあとに会社が対応を誤ると、賠償額が一気に跳ね上がります。
| 事件 | 何が起きたか | 会社の賠償 |
|---|---|---|
| 加野青果事件 | 先輩の継続的な暴言と過重業務。うつ状態から自殺。会社は叱責を認識しつつ放置 | 会社と先輩に約5,500万円 |
| さいたま市(環境局職員)事件 | 教育係からの暴力・自殺念慮の訴えを上司が放置 | 約1,300万円(安全配慮義務違反) |
| ザ・ウィンザー・ホテルズ事件 | 上司が酒に弱い部下に飲酒を執拗に強要、威圧的な言動 | 慰謝料150万円に増額 |
金額の差は、行為の重さだけでなく「会社が気づいていたのに放置したか」で大きく動きます。加野青果事件で賠償が地裁の33倍超(約5,500万円)に膨らんだのは、会社が先輩の叱責を認識しながら手を打たなかった点が重く見られたためです。パワハラ対策は「良い会社アピール」ではなく、この賠償リスクを下げるための実務だと考えてください。
パワハラの定義は「3要素」で決まる
そもそも何がパワハラか。厚生労働省の定義では、次の3つをすべて満たすものがパワーハラスメントです。
- 優越的な関係を背景とした言動(部下が抵抗・拒絶しにくい関係)
- 業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動
- 労働者の就業環境が害されること
ポイントは2番目です。上司から部下への言動でも、業務上必要で、かつ度を越していなければパワハラにはなりません。逆に、必要な範囲を超えて人格を否定したり、執拗に追い込んだりすれば、たとえ「指導のつもり」でもパワハラになります。次の裁判例が、その境界をよく示しています。
どこからが違法か。「指導」と「パワハラ」を分けた裁判例
同じ「厳しい対応」でも、違法になったものと、ならなかったものがあります。並べて見ると境界が見えてきます。
違法になった側:加野青果事件
入社1年目の女性社員(当時21歳)が、先輩から「てめえ」「同じミスばかりして」といった厳しい叱責を継続的に受け、引き継ぎが不十分なまま過重な業務を負い、うつ状態から自殺しました。名古屋高裁は自殺との因果関係を認め、会社と先輩に約5,500万円の賠償を命じています(2018年に最高裁で確定)。「一度の暴言」ではなく、継続的な人格攻撃+会社の放置が重く評価された事案です。
違法にならなかった側:東武バス日光事件
一方で、服務規律の心得を繰り返し書き写させた行為について、裁判所は「教育指導の目的の範囲を逸脱していない」として不法行為には当たらないと判断しました(東武バス日光ほか事件・東京高裁 令和3年6月16日)。※この事件でも別の言動(退職を迫る発言など)は違法とされており、「筆写を命じた部分」に限ってセーフだった点に注意してください。同じ「厳しさ」でも、業務上の目的があり、人格攻撃に至っていなければ違法とはされません。
「過小な要求」も、やり方次第でパワハラ
もう一つ、判断が分かれやすいのが「仕事を与えない・軽い仕事しかさせない」タイプです。管理職候補として採用した人に、合理的な理由なく草引きや清掃といった駐車場管理ばかりを命じた事案(周南市医療公社事件)では、これが違法・不当なパワハラと認定され、退職の無効に加えて給与や損害賠償が命じられました。「過小な要求」はパワハラ成立のハードルが比較的高い類型ですが、能力や経歴とかけ離れた仕事の押し付けは違法になり得ます。
分けたのは、業務上の必要性と、人格攻撃・嫌がらせの度合いです。「指導だから大丈夫」ではなく、「必要な範囲を超えていないか」で見るのが、社内で運用できる基準になります。
6類型:どこに当てはまるか
厚生労働省は、パワハラを次の6類型で示しています。自社で起きがちなものから点検してください。
- 身体的な攻撃(暴行・傷害):さいたま市の事件のように、暴力は最も明確なパワハラです。
- 精神的な攻撃(脅迫・侮辱・ひどい暴言):加野青果事件の継続的暴言がこれ。実務でいちばん揉めます。
- 人間関係からの切り離し(隔離・仲間外し・無視)
- 過大な要求(遂行不可能な業務の強制、仕事の妨害)
- 過小な要求(能力とかけ離れた程度の低い仕事、仕事を与えない):周南市医療公社の事件がこれ。
- 個の侵害(私的なことへの過度な立ち入り):ザ・ウィンザー・ホテルズ事件の飲酒強要は、精神的な攻撃と個の侵害の両面があります。
日本ファンド事件では、上司が喫煙者の部下に業務用扇風機の風を執拗に当て続けた行為などが不法行為とされ、約150万円の賠償が命じられました。「本人は健康上の理由と言い張った」としても、執拗で長期にわたる嫌がらせは違法です。悪意のないつもりの行為が類型に当たることもある、という点は社内で共有しておきたいところです。
中小企業がやる防止措置(最小構成)
義務といっても、大企業のような立派な体制は要りません。法律が求めているのは、次の3つ(+配慮)です。
- 方針を決めて周知する:就業規則または服務規程に「パワハラを禁止する」「行為者は懲戒の対象とする」と明記し、全員に知らせます。まずはこの一文が出発点です(→ 就業規則の作り方)。
- 相談窓口を決める:担当者(社長や総務など)を相談窓口に定めて周知します。数名の会社なら「相談は〇〇まで」と決めて全員に伝えるだけでも、体制としては成立します。外部の社労士や専門窓口に委託する方法もあります。
- 事後に対応する体制:相談を受けたら、事実確認 → 被害者への配慮 → 行為者への措置 → 再発防止、の順で動きます。
あわせて、相談した人のプライバシーを守ること、相談を理由に不利益な扱いをしないことも求められます。
社内教育・研修の観点では、年に1回でも「これはパワハラ、これは指導」という短い研修をやると効果的です。上で見た裁判例をそのまま教材にして、「加野青果の叱責はなぜアウトで、書き写しはなぜセーフか」を管理職と共有するだけでも、線引きの感覚がそろいます。
起きてしまったときの初動
裁判例が繰り返し示すのは、「放置が最も高くつく」という一点です。相談やSOSを受けたあとの対応フローを、先に決めておきます。
- 相談を受け付ける(否定も説教もせず、まず聞く)
- 事実を確認する(両者・周囲からの聞き取り、記録を残す)
- 被害者への配慮と、行為者への措置を検討する
- 再発防止(研修・配置・ルールの見直し)を行い、記録する
さいたま市の事件も加野青果事件も、共通しているのは「会社が気づいた後に動かなかった」ことです。完璧な対応でなくても、受けて・確認して・記録するを回すだけで、賠償リスクは大きく変わります。
よくある質問(FAQ)
Q. 中小企業もパワハラ防止措置は義務ですか?
義務です。労働施策総合推進法(パワハラ防止法)により、大企業は2020年6月、中小企業は2022年4月1日から、雇用管理上の措置が法的義務になっています。努力義務ではありません。就業規則等での方針の明確化と周知、相談窓口の設置、事後の迅速・適切な対応が求められます。
Q. 「指導」と「パワハラ」の違いはどこで分かれますか?
業務上必要かつ相当な範囲を超えているか、そして人格攻撃・嫌がらせに至っているかで分かれます。裁判例では、継続的な暴言と会社の放置で自殺に至った加野青果事件が違法(約5,500万円)とされた一方、服務心得を書き写させた行為は「教育指導の範囲を逸脱していない」として不法行為に当たらないと判断されています(東武バス日光ほか事件)。
Q. 相談窓口は社長が兼ねてもいいですか?
数名規模の会社であれば、社長や総務担当を相談窓口に定めて全員に周知するだけでも、体制としては成立します。外部の社会保険労務士や専門の相談窓口に委託する方法もあります。大切なのは「相談先が決まっていて、社員がそれを知っていること」と、相談を理由に不利益な扱いをしないことです。
Q. パワハラで会社が負けると賠償はいくらになりますか?
事案によりますが、裁判例では加野青果事件で会社と行為者に約5,500万円、さいたま市(環境局職員)事件で約1,300万円が命じられています。金額は行為の重さだけでなく「会社が気づいていながら放置したか」で大きく変わり、放置は賠償額を跳ね上げます。金額は報道・判例解説に基づく概数で、個別の判断は弁護士・社会保険労務士にご相談ください。
「叱れない会社」にしないために
パワハラ防止措置は、2022年4月から中小企業も義務です。やることは「方針を決めて周知」「相談窓口を決める」「起きたら対応する」の3つで、構えるほど重くはありません。
大事なのは、裁判例が示す線引きを社内で運用できることです。つまり、業務上の必要な範囲を超えて人格を攻撃していないか、そして起きたときに放置しないか。この2点を管理職と共有できているかどうかが分かれ目になります。まずは就業規則に一文を入れ、相談先を決めて全員に伝えるところから始めてください。就業規則そのものは就業規則の作り方、採用時の労務は初めて従業員を雇うときの手続きもあわせてどうぞ。
参考にした裁判例・一次情報
- 加野青果事件(名古屋高裁 平成29年11月30日/平成30年11月13日 最高裁で確定)
- さいたま市(環境局職員)事件(さいたま地裁 平成27年11月19日で約1,300万円を認容。控訴審の東京高裁 平成29年10月26日は本人の既往症を考慮した過失相殺を行っている)
- ザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル事件(東京高裁 平成25年2月27日)/日本ファンド事件(東京地裁 平成22年7月27日)
- 公益財団法人周南市医療公社事件(過小な要求の認定例)/東武バス日光ほか事件(東京高裁 令和3年6月16日・筆写は指導の範囲)
- 厚生労働省「あかるい職場応援団」(3要素・6類型・防止措置)
※賠償額は報道・判例解説に基づく概数です。個別の事案判断は弁護士・社会保険労務士にご相談ください。
